校長先生の小窓を開けると

2つのリンゴ並木物語

前回、本校の卒業生が初めて日動水加盟動物園である「長野県飯田市動物園の園長」になったという記事を書きました。その取材は日帰りという忙しい訪問でしたが、なぜかその帰途、数年来にわたって気になっていた動物園横にある「リンゴ並木」に建った「石碑」に目が留まりました。
碑文の冒頭に、私の故郷である「札幌」の文字が書かれていたからです。
飯田市のリンゴ並木の碑文に「札幌」の文字、しかも冒頭に。
札幌市出身の私にとって、とても気になることでした。
その理由は、札幌にも同じように「リンゴ並木」があり、同じように「石碑」が建っているからでした。

飯田市の動物園横から始まる「リンゴ並木」は、約300mの道路に12種類26本のりんごの木が植えられています。
1952(昭和27)年に飯田市立飯田東中学校の生徒たちが植樹の提案をし、翌年に生徒たち自身で実行されたのだそうです。 そしてそれらのリンゴの木々は、現在も引き継がれ保護・管理されています。

長野県飯田市のリンゴ並木 (画面左側にリンゴの樹々が)

その通りにあるリンゴ並木の石碑 昭和28年(1953)建立

碑文の内容を簡単に紹介します。
「昭和27年、長野県飯田市飯田東中学校の松島校長先生が出張から帰った時に、生徒たちに札幌の様子を語り、提案しました。不慮の大火で廃墟になった飯田市の街並みを、札幌のような整然とした街並みにし、更にヨーロッパの街にあるようなリンゴの樹々で蘇らせようという計画です。
学友を中心に40本のリンゴの苗木が植えられました。そしてその後も、夢と希望の指標として守られています。」

一方、私の出身地である札幌市のリンゴ並木は、全長1・3キロ。
中央分離帯に19品種82本が植えられ、9月中旬から10月中旬にかけて約5、000個の実をつけます。
そして「リンゴ並木」には、飯田市と同じように「石碑」もあります。

碑文に書かれていることは、「長野県飯田市の東中学校生徒が植え育てたリンゴ並木を参考にして、昭和49年11月板垣市長がこの地にリンゴの若木80本を植えた。以来、名産平岸リンゴ作り伝統の技術と多くの区民の奉仕や町の子どもたちの愛情によって、今は木の数も93本に。多くの実が実り、道行く人々を楽しませていいます。」
昭和49年(1974)、札幌市長の板垣さんが、飯田市のリンゴ並木を参考に、平岸の環状線の中央分離帯にリンゴの苗木を植栽したのでした。

2枚の写真は、現在の飯田市と札幌市のリンゴ並木の様子です。

公園の中にあるような飯田市のリンゴ並木

交通量の多い中央分離帯にある札幌市のリンゴ並木

飯田市のリンゴ並木は、公園の様なところに作られています。
一部に車道はありますが、あまり車は通らず静かです。
そして、この並木に実ったリンゴは、飯田市の動物園の餌にされています。
リンゴは、動物園の動物たちにとって万能なエサの一つです。
哺乳類はもとより、鳥類、爬虫類などが食べます。

一方、札幌のリンゴ並木は、交通量の多い環状線の間の中央分離帯にあります。
そのため、現在は改善されたようですが、設置当初は車の排気ガスで表面がベタつき、
動物たちの餌にも適さないという困ったことにもなりました。
もう一つ、最近の困った問題を耳にしました。
札幌市のリンゴが、ほぼ毎年のように盗難にあっているのです。
数個ならまだしも、ナント1000個近い数だそうです。
リンゴ並木、人気があるのは良いのですが、せっかく実ったものが盗難にあってしまうとは・・・。
残念でなりません。

それぞれの「リンゴ並木」は、それぞれの歴史と現実を抱えています。
しかしながら、いつまでも健やかに、そして二つの都市を結び付ける「友情の並木」であって欲しいと思います。
そして、飯田市動物園と札幌市円山動物園の間に「動物園同士」の協力関係が始まると良いですね。
2つの園の助け合いの姿を見せてくれるだけではなく、互いに発展していって欲しい。もちろん、いつまでも美しい「2つのリンゴ並木と共に」です。

リンゴの実のように真っ赤なJR飯田駅舎の写真です。
皆さんへのこの旅のお土産です。

JR飯田駅。飯田線の南端は豊橋で大きな動物園があります。