校長先生の小窓を開けると

第13回 校長の思い出動物館 ゴリラ、前編

(写真1)ありし日のゴン。キリッとしていて、私が好きな写真です(2002年7月)

1.ゴリラの「ゴン」

2009年、京都市動物園で亡くなった「ゴン」は、2004年までは札幌市の円山動物園にいました。北海道で初めて飼育展示されたゴリラ(注1)です。
私が円山動物園在職中、ゴンはいつも気になる存在でした。ゴンの動物舎に入ると、特有の鼻を衝く臭い──おそらく人間と同じようなワキガだったのだと思います──がしました。
あの臭気も、今ではなつかしい思い出です。
ゴンはアフリカのコンゴで捕獲され、本校創設者の川原義郎が経営していた川原鳥獣貿易株式会社を通じて1974年6月6日にメスのメリーとともに円山動物園にやってきました。
30年間札幌で過ごしたのち(メリーは1996年に死亡)、BL(Breeding Loan:繁殖のための動物の貸借)のため、京都市動物園に移りました。
メス2頭と同居しましたが、繁殖はうまくいかず、病気のため、5年後の2009年11月に京都で死亡しました。

注1:ゴリラについては、従来「マウンテンゴリラ」や「ローランドゴリラ」などと分類・呼称されていたが、最新の知見により、日本動物園水族館協会では「ニシゴリラ(Western gorilla)」「ヒガシゴリラ(Eastern gorilla)」に大別している。ゴンはニシゴリラだが、ここでは「ゴリラ」と表記する。

(写真2)ゴンを輸入した時の契約書

ゴンを輸入した時の札幌市との契約書。金額欄に書かれている350万円は、当時、かなり高額だったと思われます。

2.川原鳥獣貿易会社とゴン

ゴンが日本にやってきた頃の写真が川原鳥獣に残っていました。
円山動物園に移動する前のゴンとメリー。
抱いているのが、本校創設者の川原義郎氏です (1974年6月)

3.円山動物園時代のゴン

円山動物園時代にゴンとメリーの飼育を担当したHさんによると、受け入れる前に東京の上野動物園で1ケ月間、実習をさせてもらったそうです。 エサとして、当時の札幌では三越百貨店でしか入手できないメロンのような高価な果物も使用し、飼育員の間でうらやましがられたとのことです。

(写真5)来園まもない頃のゴンとメリー、一緒にいるのは飼育担当のHさん

(写真6)円山動物園の広報誌「円山動物園だより」 (1974年11月発行)の表紙

(写真7)正月行事の握手会

4.川原鳥獣貿易会社が輸入したゴリラ一覧


この頃、川原鳥獣が輸入販売したゴリラは、下記の通り、熊本市動物公園 (オス1、メス1)、姫路市動物園(オス1)、日立のかみね動物園(オス1)、円山動物園(オス1、メス1)、おびひろ動物園(オス1)の5園7頭です。

ゴリラ国内血統登録書から川原鳥獣が扱かった関係部分を抜粋
国内番号 名前 所有者 移動日
0029 バロン (川原鳥獣商) 1968.9.21.
熊本市動物公園 1969.4.01.(1970.9.23.死亡)
0030 スーザン (川原鳥獣商) 1969.4.04.
熊本市動物公園 1969.7.30.(1971.9.23.死亡)
0031 ゴンタ (川原鳥獣商) 1969.4.04.
姫路市動物園 1969.2.06.(1994.9.23.死亡)
0032 ダイスケ (川原鳥獣商) 1969.7.12.
かみね動物園 1969.12.20. (1979.11.20.死亡)
0056 ゴン (川原鳥獣商) 1974.6.14.
札幌市円山動物園 1974.6.15. (2009.11.01.死亡)
0057 メリー (川原鳥獣商) 1974.10.23.(旧1974.6.14)
札幌市円山動物園 1974.10.24. (1996.5.12.死亡)
0062 ゴンタ (川原鳥獣商) 1974.10.25.
おびひろ動物園 1975.3.13.
旭山動物園 1977.10.18. (1994.7.19.死亡)

5.ゴリラの捕獲方法


日本に送られるゴリラは、川原義郎氏本人がアフリカで捕獲していました。生前、お話をうかがったところ、「可哀そうで、ゴリラは少ししか扱わなかった」としみじみと語っていました。その理由は捕獲方法です。

(写真8)ゴリラの捕獲方法

この絵では、ゴリラのこどもを木に追い上げた後、木を伐り、捕まえることになっています。ところが、ゴリラは家族単位で生活しているので、実際は、目当ての子ども以外を射殺したり、驚かせたりして、うろうろしている子どもを捕まえるとのことでした。 あまりに残酷で、川原氏は、1974年以後はゴリラを扱わなくなりました。

ゴンとメリーを輸入したときの円山動物園の園長は、本校の初代学校長の中川敏氏でした。1973年、野生動物の商取引を禁止する「ワシントン条約」が採択されました。 ワシントン条約への日本の加入は7年後の1980年ですが、日本動物園水族館協会の園館長会議の席上で、この条約への対策が話題となり、川原氏に相談した結果、1974年に輸入することになったようです。

6.京都市動物園での様子

伴侶メリーが1996年に死亡したのち、ゴンは円山動物園で独身生活を続けていましたが、日本動物園水族館協会種保存委員会ゴリラ会議で検討した結果、繁殖のため2004年10月に京都市動物園へ移りました。 京都では2頭のメス(ヒロミとゲンキ)と同居しました。ゴリラは本来群れで暮らす動物ですので、ゴンにとってかけがえのない幸せな日々であったのではないかと思います。
私は2009年の4月、ゴンの様子を見に京都動物園へ行きました。少しやせてはいたものの、元気でよく動いていたので安心したのですが、飼育課長の話では副鼻腔の病気で治療中とのことでした。
残念なことに繁殖は成功せず、同年11月1日に敗血症で死亡しました。

(写真9)京都市動物園でのゴン

(写真10)京都市動物園でのゴン

7.国内のゴリラ事情

日本で最も多くのゴリラが飼育されていたのは、1990(平成2)年12月末の49頭(25園、オス27、 メス22)で、その後年々減少していきました。
2018年12月31日現在、国内でゴリラを飼育している動物園は7園、計22頭(オス11、メス11)です。 内訳は、八木山動物公園1頭(オス)、上野動物園8頭(オス2、メス6)、千葉動物公園2頭(オス1、メス1)、浜松市動物園1頭(オス1)、東山動植物園5頭(オス2、メス3)、日本モンキーセンター1頭(オス)、京都市動物園4頭(オス3、メス1)。
上野動物園の8頭が最も多く、1頭のみの単独飼育は3園(全てオス)。北海道、四国、九州地区では、見ることができません。
ほとんどの動物園が、円山動物園のように、オス1、メス1の計2頭での飼育方法でした。オスが複数のメスと群れをなして暮らす野生のゴリラとは大きく異なるため、 長い間、繁殖はあまりありませんでした。そのため、1993年、東京都ズーストック計画に基づき、各地(安佐、別府、多摩、東武、宮崎、釧路など)の単独飼育のゴリラを上野に集めることになりました。 1996年、「ゴリラの住む森」の完成にともない集団生活をさせたところ、2000年に上野動物園でゴリラ「ももたろう」の繁殖に初めて成功しました。これに続き、2018年までの間に、東山、京都でも、合わせて11頭も繁殖し、現在も9頭が生存しています。
2011年、日本動物園水族館協会主催で開催された種保存委員会に於いて、飼育動物の将来予測が発表になり、ニシゴリラについては次の通りです。

種別 2000年 2010年 2020年 2030年
ニシゴリラ 33 23 11 6

2000年に33頭だったゴリラは、2010年には10頭減の23頭、2030年には6頭との予測でした。そのため、新聞で大きく取り上げられ、このままでは国内ではゴリラは見られなくなる、と、話題になりました。 しかし実際には、2018年末の飼育数は22頭ですから、予想に反し、繁殖が順調で、少し、安心できそうですが、やはり心配です、この続きは、次回まで、お待ちください。

第13回 おわり